事務局だより(in酉和館)
黒澤酉蔵翁 生誕の地を訪問しました!
酉和館(ゆうわかん):黒澤酉蔵翁 生家
場所:茨城県常陸太田市小目町2478番
1885年 黒澤酉蔵はこの地に生まれ15歳で上京し勉学に励み、足尾鉱毒事件の田中正造に師事し、20歳で北海道に渡り酪農を学びます。
昭和45年(1970年)生家のあった土地を寄贈し、地域の文化交流のために酉和館を造りました。
「酉和館」の名前の由来は、寄贈者 黒澤“酉蔵”と弟の“和雄”の名前から付けられました。最盛期には剣道の活動などに活用され、児童公園や運動場、ゲートボール場を造り、故郷へ貢献しました。
「この酉和館は昭和44年11月時の北海道開発委員会会長 酪農学園学長 雪印乳業創立者 黒澤酉蔵先生と弟の和雄先生が郷土の青少年の健全な育成を図って、先祖から伝わった土地に講堂 兼 体育館を建て、田を埋め立て、運動場を造り、そこに遊具を施設して常陸太田市へ寄附されたものであります。
酉和館の名 お二人の名のかしら文字を一字づつとってつけたものでありますが、市民の融和のためにここを楽しい いこいの場としてもらいたいと言ふ念願もまた含まれています。
両先生の意を心にとめて、身体を鍛え、心を練り、りっぱな人となって先生のあとに続きませう。 昭和46年8月記 建設委員会」
住宅街の一角、少し奥まったところに酉和館はありました。
あいにくの雨模様でしたが、黒澤酉蔵翁の生誕の地にうかがい、身が引き締まる思いでした。
日本連盟事務局 横山 記